校長だより

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堺工科校訓の意味は?

(2023/01/04更新)

おはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。

今日は仕事始めです。しかーし教職員のみなさんは有効な年休の使い方などをしていただき、生徒登校までの充電に心がけていただければと思います。

 

新年をのスタートするにあたり、堺工科校訓「人格の陶冶」について、考えてみたいと思います。

〇先人の遺した言葉から

元京都大総長の平澤興先生が書かれたお話の中で、ある禅家の言葉として「転金成鉄」を紹介されています。

平澤先生曰く、『光るべきものが、ただ光っておるだけは平凡である。金にも比すべき光る才能を鼻にかけたり、威ばったりせずに、さらに鍛えあげて、表面のぴかぴかを取り除き、さらにその中までもたたきあげて、どこでも、だれにでも気軽に使ってもらえるようなものにまで、成長し、普遍化することは容易なことではない。「転金成鉄」とは、まさにこの真理を教えておるものと思われる。・・・・』

〇 堺工科の校訓「人格の陶冶」につながるもの

本校の校訓は「人格の陶冶」です。なぜ、初代校長小山先生はじめ創設に携わった先生方は「技能技術の陶冶」とされなかったのでしょうか。まさに「転金成鉄」の意に通じるところがあると私は感じています。

工業人たるもの、身につけた才能を社会で生かす、貢献するためには、自分をたたきあげ、かつ、どこでもだれにでも気軽に使ってもらえるような協調性ある人になるべきものと考えられたから、身につける技能技術の陶冶ではなく、あえて、人格の陶冶と記されたのではと考えるのです。

 

〇 「実ほど頭を垂れる稲穂かな」

この故事は出所不明だそうですが、英語にも類義があるようで「The boughs that bear most hang lowest.」。古今東西、経験を積み重ねるほど謙虚であれ、実力をつけた人ほど謙虚であるとのことを意味するのですが、人格の陶冶に励む目標としてこのような稲穂をめざしたいものですね。でも、そのような人格となれたかどうかは、自分が決めることではなく、他人から評価されてこそ、そう思える謙虚さを忘れないようにしたいものです。

 

(校長のよもやま話)

「実ほど頭を垂れる稲穂かな」を叩き込んでいただいたのは、大学でご指導いただいた影本彰弘先生(故人)でした。研究に愚直なまでに取り組まれる先生で研究室での指導は厳しく、学生は週1回の研究報告会を課せられ、ヒイヒイ言いながらの研究の日々でした。私が教員免許を取得するために必要な教育実習に行くときには、研究を軽んじていると厳しく言われた先生でした。影本先生、とても上品な方で常に標準語で話され、研究室の学生が関西弁で、特に、『ちゃいまんがな』って言ったものなら、しばらく口も聞いてくれない方でした。しかーし、なぜか、私だけ唯一、そんな口調で言っても怒られなかったことが今でも不思議です。教員採用試験の結果待ちの時には、ダメなら研究室に残ってもよいと言ってくださり、合格を半ばあきらめていて今後どうするか思案していたので、涙が出そうになったことを思い出します。そして、いろいろな方に励まされ、時には厳しい言葉もいただきながら育てていただいてここまでやってこれたんだなって振り返るような年になりました。みなさんは、教えていただいてよかった!って師はお持ちですか?

 

 

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