
「評価される」は、共同で生きていくには避けられぬ
(2026/04/23更新)
みなさまおはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。
さてさて、うちのPTAさん、活動に気合が入ってきております。最近の中学校では活動が任意であり、お世話役が強制されるなどのブラックな面ばかり強調されて、加入について躊躇される方々も多いのですが、堺工科では、今も加入登録いただく保護者が出ております!おかげで、大半の方を迎い入れることになっております。うれしいことです。まだ、登録忘れておられるみなさん、共に集いましょう~。PTAの話題はまたにさせていただきます。
昨日は、校長先生方の評価法の研修がありました。私も受講したのですが、毎度毎度、評価することって、難しいと苦慮しています。いっそのことなくなればええねんって思うこともないことはないのですが。しかし、落ち着いて考えると、評価・・・これは、批判することだけでなく、褒める称える励ますも含めてなのですが・・・、これは必要なことだと思いませんか。仮に世界に一人だけになって生き抜くことに必死になったとしても、場面場面で自分が自分の行動を評価するわけで、共同社会では、様々な角度からアドバイスが効果的になるように、他者から評価されるって考えるのも一考と思うのですが。お互いにそんなことをしてるなかで、お互いを理解することも進むはずで、だからこそ、何かの時に力を合わすことができるって思うのですが。我々は、長い受験戦争のなかで、点数を評価される輪切りにされるってなことばかりが評価の評価になってしまっているような。お互いをまともに評価し合い所属しているところをよくすることを考えたらよいと思うのです。