新聞の投書から
(2024/01/11更新)
みなさまおはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。
今日も寒いですよね~。うちの学校でもインフルエンザってな話もちょくちょく聞きます。どうぞ、温かくして一日をお過ごしくださいませ。
堺工科での私の一日の始まりの仕事は、新聞の切り抜き、工業や教育などなど見ておいた方がよさそうな記事を切り抜いてます。見てくれはる先生には、一部、配布しています。
1月9日の読売新聞の投書に、16歳の高校生の投書があり、題は「行動に責任持つ大人になりたい」で書かれていました。この高校生さんがすごいところは、「年齢をただ重ねて大人になったとしても、内面が幼稚なままでは大人とはいえません・・・」とのコメントです。考えさせられませんか? ほんまに、クソまじめでやらんでもええけれど、年齢を経るほど感性や経験値を増すように頑張っていくことが大切なんですよね~。でも世間では年齢を重ねるほど楽しようと思う人がなんと多いことかと感じるのは私だけでしょうか。なんぼ、頭の回転が速く、知力に長けていても、周囲のことを考えられへん、ただ、人と人の駆け引きで自分が優位、楽することを考えている大人ばかりでは、この世の中はうまくいかないことは、一人ひとりわかってはいるのですが・・・。
今の世の中、ホンネでいきる、個人を尊重するってな風潮が行き過ぎて、人間関係が希薄になってしまっている。だから、話し合いによる調整がままならない場面が多く、細かなルールをつくってしばる・・・ってなことが多々見られます。そんなところで、他人から認められるようにと考えることは、ええカッコとか、ゴマすりとかに見られることもありますよね。でも、考えてみてください。他人から認められるように行動するってことは、自分を冷静に他者と比較しているわけで、自分に何が足らないか、今、自分はどのように動かなければならないかってことを考える要因になると思うのです。できれば、他人から認められるという考えは、自分のいる場に貢献することであると解釈する社会であってほしいと思うのです。最後に、投書しはった16歳の高校生さんの終わりの一文を書いておきます。