子どもに頼る親をめざして
(2025/06/10更新)
みなさまおはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。
さてさて、朝からしっかりと雨が降っとります。6月はあんまり休みもないですが乗り越えていきましょうね。
本朝、修学旅行に行く高校生でしょうか、集合場所までお母さんが付き添われていく姿を見かけました。思えば、自分も子どもがそんな時分は、付き添ったものであったことを思い出します。その心境はいくつになってもかわらないものでして、とうに成人を越えすぎた子どもであっても、口で好きなようにしたらええやんって言うけど、内心は「大丈夫やろか」ってな気持ちでいっぱいであるもんです。
老いては子に従えってなことも言われるように、いつまでも親なのですが、どこかで子どもに頼る場面が出てきて、そんな時、頼もしいような嬉しいような気がするものです。しょうもない体験ですが、私の出張で旅行カバンが破損してしまい、購入しなければならなかった際、たまたま家にいた2人の子どもに連絡したところ、何も言わなくとも、私がつくまでに旅行カバンを見繕ってくれていたことで、なんとか無事に旅立つことができました。そんな気遣いができない子どもと思っていたのですが、うれしくてうれしくて。いつかは子どもに頼るってな場面があって、それがうれしい体験となれば最高ですね。私は残念ながら、あんまり家にいなく、家にいてもどうしようもない親であり、ほんまに何にもしてやれなかったのですが、そんな子どもたちの成長に、親稼業させてもらっているなって、子どもから生きる力をもらっているなって思っているのです。これは学校でも生徒の成長を楽しみにする先生の本性とも似ているところがあるわけで、親、家族、地域、そして学校の身近な大人が子どもたちの成長を自然とサポートするってな感じになれば、ほんま地域の学校、学校あっての地域ってことになって、それがお互いに助け合う自治、民主制のきほんのきにつながるように思うのですが。