校長だより

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人間の味つけ

(2023/06/12更新)

みなさまおはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。

〇 平澤 興先生って?

先週の金曜日のだよりに、『京都大学元総長であった平澤先生も還暦までなんて、まだまだってようなことを書かれていたような気がします。』との話を書きました。なーんか、ぼやっとしてるので反省し、しっかりと紹介したいと思います。

平澤先生は、昭和32年から6年間京都大学の総長を務められた医学博士・解剖学者です。平成元年に89歳でお亡くなりになりましたが、先生を慕われる学徒は多く、いまでも講話選集などが出版されています。

私が先生の名前を知ったのでは中学生の時、先生が書かれた少年向けの医学者の伝記集『生命の探求者』を手に取ったことからでした。その中には、北里柴三郎博士のことをはじめ、さまざまな偉人の足跡が、とっても感動的に記述されていました。今も、家のどこかにあると思います。どんな偉い人かはわかりませんでしたが、中学生ながら、偉い先生がこんな優しい文章を紡ぐなんてって感じ、「実るほど頭が下がる稲穂かな」を実践されたような人のように思ったものです。

〇 自分の味つけをする気持ちを持ち続ける 

先生は『五十六十花が咲き、七十八十実がなって、九十百歳熟れ盛り』との言葉を残されています。また、先生は「年をとるほどに、私はいよいよ自らの人間の乏しさを感じるが、しかし、命ある限りは、やはり祈りをこめてなんとか自らの人間の味つけに燃え続けたいとおもうのである。それは、人間が人間を生きるということの中で、最も大切で、最も意義深いことではなかろうか。与えられた尊い命を生き切って、感謝の中で限りなく伸びたいものである。」(致知出版社:「平澤興一日一言」より)と話されたと言います。

今、まわりの人とお話をすると、五十代ですでに隠居気分であったり、三十代ですでに達観するようなことを発言してみたり・・・。卒業生でも就職したらそれが到達点ってな感じの人にも出会うことがあります。人生百年時代と言われる時代、これでよいのでしょうか? また、もう仕事が十分にできないということであれば上岡龍太郎さんのようにスパッと引退すべきであり、私のような働いていかなければ生活できない場合は与えられた仕事をしっかりとやり切るしかないのではないかと思うのです。でもこれは少し後ろ向きかもしれませんね。できることならば、いつでもやってやろうと思う気持ちを持ち続け、かつ、自分への味つけを年とともに楽しみたいものですね。そして、年を経れば経るほど安心感を与えるような人間になりたいものです。

 

 

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