賽(さい)の河原の石積みは
(2024/12/05更新)
みなさまおはようございます。いつもご覧いただきありがとうございます。
さてさて、本日は冷たい風が吹き出しております。風を召さないよう服装は温かく~。
「賽の河原の石積み」は親より早くなくなった子どもが、賽の河原で石を積むのですが、鬼が来て崩されていじめられるというもの。これは親孝行せずに亡くなったことが大きな罪と捉えている思想からきているのです。
今回はそんな思想に関係なく、せっかく作ってきたものを、容赦なく潰されるってな時もあるというお話です。
世間でよく聞かれるのは「せっかくやってきたのに・・・」で自分のやってきたことを否定される虚しさ。心境は察するところもあるのですが、こんなこと、仕事の上ではありうる話と覚悟をしましょう。それよりも、自分はしっかりと積み上げてきたのか?周りの理解を求めたのか?と自分を点検する機会であると前向きに考えるべきと思うのです。そうすることが明日の糧になると信じて。世間という賽の河原で石を積むのが仕事とするならば、鬼が来ても崩されんような仕事をしておくという気持ちが大切と思います。
ほんま難しいことですが、そうするにはしっかりと自分が勉強し、考え、仲間をつくる理解者をつくることが不可欠と思います。だからこそ、社会ではコミニ力を重要視しているのです。やる気を失くす前に、何かやれることがあるのかを考えましょう。
ちなみに私は、数年かけて調整した仕事を最後の1か月にストップされました。力のない私はどうすることもできず、上司からは「やれ」の一言。ほんまにトイレで悔し涙を流していましたが、権力、権限を持つ立場にならはる人の人選は、ほんま大切やなって思い、また、どうしようもない時の心の整理の仕方を学んだものです。